ここ数年で、人間関係とか仕事関係とか頼まれごととか推し活とか、生きていく上でこなす色んなことが自分の中でうまく選別や線引きができるようになってきたんですよね。
だーひらの涙ぐましい努力によって!!!(!?)
その結果、「この人たちはわたしがたとえ多少の我儘を言ったとしても、言いにくいことを伝えたとしても、そう簡単にはわたしのことを嫌いになったり離れていったりしないだろうな」と無邪気に周囲の人たちを信じられるように。
改めて自分は、人に恵まれてるなって実感してます。
元々そう思ってはいたけど、その信頼度がどんどん高まって、ついにここまで傲慢に思えるようになったんです!
昔は、卑屈に手足が生えたような、ネガティブが擬人化しましたみたいな、そんなどろっどろの人間だったので。
(今でもそんな時はあるかもしれないけど)
それを克服するために、我儘の練習したんですよ。
例えば
「集合時間はゆっくりがいい!起きれないから!」
みたいなちっっっちゃい我儘から始めて、そこから
「今日はこれが食べたい気分」
「と思ったけど、やっぱりあっち」
「何を言ってるか分からない」
「どうしてもここは譲りたくない」
みたいな感じで、人に対しても自分に対しても徐々に強い主張ができるように、我儘の練習をしてきました。
わたしとしては、ものすごい良いことだと思ってます。
お皿の上にちょこっとだけ残ってることを"ひとつ残し"や"遠慮のかたまり"と言うらしいですが、それも残さず遠慮せず食べる人になりました。図々しくもなっている(^-^)
我儘って言葉や字面はあんまりかわいくないけど、心のある我儘であれば、きっと人との関係性を構築していく上で多少は必要なのかなってなんとなく思っていて。
何度も言ってきましたが、だーひらはほんっとに友達が少ないので関係を続けられる人って限られてるんですけど、限られているからこそ友達への愛がかなりのヘビー級で。
友達へ抱くにしては、やや重め(!)の愛情を持ってしまうタイプなんです。好き好き大好き!わたしだけ見て!って。
面倒くさいだろうけど、我儘と共にパンパンに詰め込まれた愛情も、友達には受け止めてほしいなぁと思ってます。
ヒーローズで会えるみんなにもね、ちょっと硬めの泥団子を投げ付けるように愛情を投げ付けているので『痛いよ!』って時あるかもしれないけど、逞しくなってくれ(^-^)
痛いくらいの愛情だよ。きっと。
あ、"ひとつ残し"や"遠慮のかたまり"食べるって書いたけど、マブダチ・妖怪ピノ差し入れ女のピノ、だーひらが見たとき(6日の3:00頃)には残りが一個だったんですよね。
ほんとはピノ食べたかったけど、やめました。
スタッフさん用、と書いてあるものの最後に手を出す勇気が、わたしにはまだなかったのです。わたしのピノ…(違う)
だけど、最後の一個を食べて箱を捨てるまでがもしかしたら優しさだったのかもしれない、と思った。(それも違う?)
よし!これから最後の一個はだーひらのものだ♡